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特集

  • 2015/11/08

ひろか〜と伊藤のラリーニッポンR100参戦記 2015

今年も、伊藤さんとサンアイワークス石井さんのコンビが駆るファミリアロータリークーペ(R100)がラリーニッポンに参戦。伊藤さんより参戦記が送られてきました。日本を元気にする応援プロジェクト! であるラリーニッポン、今年のルートは京都〜四国一周〜京都と、イベント初の四国上陸となり、10月24日(土)〜10月27日(火)の日程で行われました。3日間の道中どんな風景がそのウインドウガラスからみえたのでしょうか。伊藤さんによる参戦記、とくとご覧下さい。

1.沿革
RX-7乗り30年を自称する私がこのファミリアロータリークーペ(R100)でラリーニッポン参戦を思い立ったのは2010年。ひょんなことから雅楽家の東儀秀樹さん(ラリーニッポン発起人兼理事、自らも毎年出場されている)のMGAをお借りしてラリーニッポンに出場することになった。それまでクラシックカーの分野に足を踏み入れたことがなかった自分がラリーニッポン4日間の体験からその雰囲気と数々の名車、そして行く先々で老若男女たくさんの市民やマニア、ファンの皆さんの熱烈歓迎ぶりに魅入られて、「来年は自分のクルマで出るぞ!」と周囲に宣言。もちろん「自分のクルマ」と言えばロータリーしかない。ラリーニッポンは1974年以前に生産され、公道を走れるナンバー付車両、というのが車両規則なので、そうなるとコスモスポーツかファミリアか……

そこで私は迷うことなくR100を選択。コスモスポーツは生産数こそ少ない貴重なクルマなれど全国組織のしっかりしたオーナーズクラブもあり、各種イベントではよく見かける。むしろ稀少なのはR100だ。どうせならマツダが69年からベルギー・スパフランコルシャン耐久に出たときのワークスカラーで出たい。長年自分のクルマを世話してもらっている、今やパートナーの千葉幕張のサンアイワークス・石井社長に相談したところ、サンアイとしてもサポートだけではなく正式に参戦したいと快諾してくれ、サンアイ+ひろか〜とのチームとして2011年のラリーニッポン(東京→京都)に照準を合わせることになった。

意志あるところに道は通ず、東奔西走探し回ったら幸い程度の良い1970年式のベース車両が見つかったので、それにサンアイワークスにてボディ、シャシー、エンジンのレストアを施した。さらにエブロのミニカー1970スパ仕様のR100(現車ダッシュボードにディスプレイ)を塗装屋と印刷屋に持ち込んで、それを見本にカラーリングとステッカーの復元製作を行った。

1970年当時、マツダワークスは4台体制(車番31〜34)でスパを走った。我々はゆくゆく同じようにR100のレプリカを4台作って連なって走りたいという目標を掲げたが、2台目のベース車両がなんと2011年のラリーニッポンの最中に琵琶湖のほとり、長浜で見つかり、ラリー中にも関わらず即決購入。これを32号車としてレストアし、2012年は2台体制でラリーニッポン(京都→東京)に出場を果たす。その後は2013年ラリーニッポン in Y154(横浜)、2014年ラリートーキョーヨコハマ(東京→千葉→三浦半島→横浜)、ラリーニッポン(福岡→京都)、2015年ラリートーキョーヨコハマ(横浜→三浦半島→横浜)、そして今回のラリーニッポン(京都→四国→京都)と、これまでにチームとしては7回の出走、完走を遂げることとなった。

2.ラリーニッポンについて
ラリーニッポンは4日間(春のトーキョーヨコハマは2日間)、例年10月下旬か11月上旬、ミッレミリアより後の日程で行われる。4日間でおよそ1,000 – 1,200キロのコース設定で途中1日3〜4回の計測ステージ(PC)が設けられており、参加車両は4日間のコース行程のコマ図通りに走り、PCおよび各チェックポイントに所定の時間に到着、もしくは通過することが求められる。PCの計測タイム差の合計ポイントで順位が決まるが、チェックポイントのミスによる減点が加味され、また交通違反を犯した場合は失格となる。ミッレミリアよりは行程がゆったりしており、またPCの競技性が緩いため、ラリー競技というよりはパレードランの雰囲気があり、参加者によっては自慢の愛車で沿道に手を振りながら、競技は二の次で自動車旅行を楽しんでいる感すらある。各PCやレスコンのステージでは沿道市町村や団体、警察の協力を得て歓迎イベントが催され、70〜80台のクラシックカーのパレードを地域住民に楽しんでいただいている。我々はイベントとしても盛り上げるべく、スタート地点ではチームキャンギャルを立て、またチームのノベルティグッズ(特製R100ストラップ、ステッカー)を毎回皆さんに配布している。

「参加することに意義あり」に徹している(笑)我々の順位は今回70台中31位。これまでR100での7戦の戦果は良い時で20位台後半、悪い時は40番台だったが、2010年に東儀さんのクルマを拝借して出たときが自己最高の19位なのは…(泣)。 上位10位内入賞を得るにはやはりPCで100分の1単位の「線踏み」の正確さを追及する練習をしないと無理なのは、他のラリーイベントと同じである。「いかに練習しないで上位に入るか」を豪語してきた東儀さんは、ラリーニッポン発足最初のころはコンスタントに10位内に入っていたのが、ここ2年ほどは入賞できず今回21位。毎年常連参加者のレベルが如実に上がっていることは間違いないようである。

3.今年のラリーニッポン
今年のスタート地は京都東寺の境内に設定された。昨年の福岡大宰府スタートの時はさすがに車両を業者に頼んで搬送したのだが、今回は伴走車RX-8を付けて自走で前日に京都入りした。今年の我々は、スタッフィングの都合が限られたため33号車の1台エントリー、ドライバーはサンアイ石井社長、ナビゲーターは私。  1日目、朝から快晴のラリー日和。今年は珍しく、2010年以来の4日間全日晴天に恵まれ、特に幌のないバルケッタの参加者たちは喜んでいた。予定通り8時45分に1号車スタート、30秒ごとに1台ずつ73台+賞典外参加車両+マーシャルカーなどがたくさんのギャラリーに見送られて東寺を出発、一路淡路島へ走る。 その後淡路島SAハイウェイオアシスで最初の計測PCとランチレスコン、善通寺、琴平駅、石鎚山チェックポイントなどを経て初日ゴールの今治城に到着。全車両は城址内特設パドックにそのまま保管。我がR100はここまで快調で、計測線踏みも大きなミスはない。今までになくストレスフリーな初日を終えて安眠した。

2日目は今治城をスタートして、しまなみ海道を大島にわたり、道の駅よしうみいきいき館でチェックとPC。道後温泉駅チェックポイントを経由して松山市城山公園でPC、大洲まちの駅あさもやチェックポイント、天赦園ランチレスコン、室戸岬付近十和町チェックポイント、道の駅あぐり窪川チェックポイントを経て高知城にゴール。ここで最後のチェックポイントを通過し、高知自動車道を飛ばしていたところで突然のエンジントラブル。エンジンがバラつき出して減速、社長の判断で土佐インターを降りて緊急点検する。社長にはラリー前日京都に向けて自走しているときから嫌な予感があったという。全開にしたときのパワーの出方が悪く、燃料系統を疑っていたようだ。さすがロータリードクター。
「キャブか燃料系の微妙な不具合、詰まっているのか、燃料ポンプか」という石井社長。なんとかその後高知城までゴールし、直後に燃料ポンプを交換する。「これで治るか、さもなくばキャブが高回転・高負荷時に対応できていないで燃料不足になっているかだ」との診断。初日とうってかわって一抹の不安を抱えたまま就寝の高知の夜……

3日目は高知城特設パドックからのスタート。アクトランド・四国自動車博物館での最初のPC、道の駅田野屋駅チェックポイント、東洋町海の駅PC&ランチレスコン、阿南市総合スポーツセンターでのPCを経て徳島BMWチェックポイント、そして四国を離れて淡路島ウェスティンホテルがゴール。

社長はエンジン不調の原因をキャブに絞り込み、高回転時の燃料、燃圧不足を意識した運転をすることでバラつきを極力回避するように努めた。スピード競技ではないのは幸いである。

最終日は淡路島から本州がステージ。朝に夢舞台駐車場でPC、その後神戸へ渡り道の駅いながわでチェック、亀岡市に入り亀岡運動公園でPC(なぜかランチャストラトスのホンモノワークスカーが展示されていた)、楽々荘でランチレスコン、京都桂川、渡月橋を通って嵐山高雄パークウェイ料金所チェックポイント、そして京都市街を抜けて上賀茂神社に最終ゴールイン。最終日は走行距離が短く、午後3時過ぎには表彰セレモニーが行われるハイアットリージェンシー京都にチェックインできた。いつもの表彰パーティで参加者全員が騒ぎ楽しみ、最後は東儀秀樹ひちりきコンサート(笑)で幕。翌日にキャブ不調のR100をだましだまし、踏みすぎないようにして500キロの道のりを幕張まで運んで長い行程は概ね無事に終焉した。

ひろか〜とレーシングチーム主宰
伊藤ひろかあと

Photo by h.ito

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