- 2018/07/28
最強のRE「R26Bエンジン」を作った男達
2018年7月上旬、広島のマツダ本社に5名の男達が集まりました。2名の現役エンジニアを除いて3名はマツダエンジニアOBです。この5名にロータリーエンジン史上最強のR26B型4ローターエンジンの開発エピソードなどを聞きました。1991年のルマン24時間レースで総合優勝を果たしたマツダ787Bの心臓がR26Bエンジンでした。
真夏日にもかかわらず、この方々は集まってくれました。この5名とは、当時マツダのロータリーエンジン設計グループ主任でR26Bエンジンの開発をリードした栗尾憲之さん、同グループの船本準一さん、現役のパワートレイン開発エンジニアの清水律治さん、RE実研部出身で当時はマツダスピードの技術部長だった松浦國夫さん、RE実研部でR26Bエンジンの組立を担当していた現在マツダE&T所属の菊岡和則さんです。もちろんエンジンの開発には、この他にも多くの人々が関わっていますが、この日はこの5名に代表してお話いただきました。
栗尾さんは、「1987年のルマンに立ち寄られた当時社長の山崎芳樹さんが、”ロータリーは音ばかりで速さがない”と指摘されました。この年は3ローターエンジンで総合7位に入賞した年でした。それまで私たちは、ロータリーエンジンの耐久性を実証するため24時間レースで無事に完走することが目的でしたから、速さや勝利を目指していなかったのです。それでも山崎さんの口添えで、予算や人員補強もあり4ローター化が現実化しました。その後は逹富康夫専務や黒田堯部長の後押しで全社あげての開発が進み、1991年のルマン総合優勝に至るR26Bエンジンが完成したのです」とR26Bエンジンの生い立ちを紹介しました。松浦さんは、「R26Bエンジンの開発がスタートする時、マツダスピードのシャシーエンジニア達に意見を聞いたところ、全長が長くエンジンそのものの剛性が低い4ローターエンジンはレース用には向かない、対応するギアボックスもない、などと厳しい意見が集まりました。しかし、のちにそれらは知恵と工夫で解決していきます。もちろんシャシー側もREの弱点を補い、長所を生かす工夫を研究していきます」と続けました。船本さんは、「私はエンジン本体の設計が主な業務ですが、設計するメンバーは他にも何名かいたので、私は主に車体製作とレース運営を担当しているマツダスピードとの折衝担当でしたね。私が最初のプロトタイプの図面を持って東京のマツダスピードを訪ねていきましたので、あの時のことはよく覚えています。色々と厳しい意見が出ましたね」と記憶を呼び起こしてくれました。今もロータリーエンジンの設計業務に従事し、レンジエクステンダー用シングルローターユニットの開発などを担当している清水さんは、「当時は吸排気の設計を担当していました。また燃焼制御も命題でしたね。R26Bでは、可変吸気の設計を担当しました。吸気管長を調整してトルク特性を変えていくため、2段階調整、無段階調整までを開発しました。当時量産車では一部実現している他銘柄ブランドもありましたが、レーシングエンジンで可変吸気を実現したのはマツダが初です。また、REは排気温度が高いので排気管の信頼性確保にも苦労しました。燃費も厳しかったので、サーキットシミュレーションプログラムを作って、ドライバーサイドでもタイムを落とさず燃費を稼ぐ走りをしてもらいました」と話すと、栗尾さんは「可変吸気は短い時に高回転域でパワーを出し、長い時は低速でのトルクを活かす設定です。最終的には滑らかな無段階可変が実現しましたが、この機能が壊れた時のことも考えました。もしスライド機能が壊れたら、長い方で止まるようになっています。さらに吸気管がスティックしたら困るので、高度な固形潤滑コーティング技術であるデフリックコーティングという表面処理をしています」と当時の解説では明らかにしていなかった技術も紹介してくれました。清水さんに”現代の技術で4ローターエンジンを作ったらどんなものができるでしょう”と問いかけると、「レギュレーション対応や予算を度外視すれば、現代は当時より解析や演算計算が進んでいるので燃費とパワーの関係はより細かく制御できると思います。素材技術も進んでいるので、よりコンパクトで軽く剛性の高いエンジンにできるでしょうね」と答えてくれました。夢が広がりますね。話は色々な方向に寄り道しました。その中でも松浦さんが語った一言が印象に残りました。「私は何度かお話ししていますが、レーシングREの開発を熱心に支援してくれたのが、昨年末亡くなった山本健一RE研究部部長でした。いつも”ロータリーにとってレースでの活躍と量産車開発は両輪だから、頑張れ”と言って励ましてくれていました。山本さんが支援してくれてなかったら、1970年代初頭のオイルショックでマツダはレース活動をやめていたかもしれないし、そうであればルマン優勝もなかったはずです」。
エンジンの組み立てを担当した菊岡さんは、「当時のRE実研には、小方さんという絶対的な存在の専門家がいました。とても厳しく組み立て精度を求めていく人で、私たちも厳しく指導を受けていました。だからどのエンジンも全く同じ性能が出せるのです。シール類の精度はミクロン単位ですから。なので、ドライバー達からも絶対の信頼を集めていました」と話しました。松浦さんは、「小方は本当に丁寧な仕事をする職人気質の男です。2ローターのレーシングエンジン開発のため、ツーリングカーレースで活動していた時に、片山(義美)が”小方が組んだエンジンを積んでくれ”と指名していたことでも明らかです」とサポートします。「そんな小方さんの精神はRE実研、のちのモータースポーツエンジン実研グループにも受け継がれていきました。当時の方法でR26Bエンジンを組み立てろと言われたら、今でもできます。R26Bエンジンは、IMSAでも使いましたから1990年仕様から数えると100台を越す台数を組み上げました。ルマンで優勝したエンジン本体には、88とシリアルナンバーが打刻してあります。88番目に組み立てた個体ですね。色々ありましたが、1991年のルマンで優勝できたのは本当に嬉しいできごとでした。レース後に当時の横浜研究所に報道陣を集めて優勝したマシンからエンジンを下ろし、分解してみせるというイベントがありました。壊れていないかドキドキしたことを記憶しています。重量調整のための分厚いスティール製のオイルパンを外した時、ものすごい重かったです」と菊岡さんは締めてくれました。
この5名の話は尽きず、何時間でも話が続きそうでした。この特集記事の他にも貴重な話がありましたが、それは今年の秋に発売する「R26Bエンジン1/6スケールモデル」に付属するブックレットに掲載する予定です。どうぞお楽しみに。
Text and Photos by MZRacing
真夏日にもかかわらず、この方々は集まってくれました。この5名とは、当時マツダのロータリーエンジン設計グループ主任でR26Bエンジンの開発をリードした栗尾憲之さん、同グループの船本準一さん、現役のパワートレイン開発エンジニアの清水律治さん、RE実研部出身で当時はマツダスピードの技術部長だった松浦國夫さん、RE実研部でR26Bエンジンの組立を担当していた現在マツダE&T所属の菊岡和則さんです。もちろんエンジンの開発には、この他にも多くの人々が関わっていますが、この日はこの5名に代表してお話いただきました。
栗尾さんは、「1987年のルマンに立ち寄られた当時社長の山崎芳樹さんが、”ロータリーは音ばかりで速さがない”と指摘されました。この年は3ローターエンジンで総合7位に入賞した年でした。それまで私たちは、ロータリーエンジンの耐久性を実証するため24時間レースで無事に完走することが目的でしたから、速さや勝利を目指していなかったのです。それでも山崎さんの口添えで、予算や人員補強もあり4ローター化が現実化しました。その後は逹富康夫専務や黒田堯部長の後押しで全社あげての開発が進み、1991年のルマン総合優勝に至るR26Bエンジンが完成したのです」とR26Bエンジンの生い立ちを紹介しました。松浦さんは、「R26Bエンジンの開発がスタートする時、マツダスピードのシャシーエンジニア達に意見を聞いたところ、全長が長くエンジンそのものの剛性が低い4ローターエンジンはレース用には向かない、対応するギアボックスもない、などと厳しい意見が集まりました。しかし、のちにそれらは知恵と工夫で解決していきます。もちろんシャシー側もREの弱点を補い、長所を生かす工夫を研究していきます」と続けました。船本さんは、「私はエンジン本体の設計が主な業務ですが、設計するメンバーは他にも何名かいたので、私は主に車体製作とレース運営を担当しているマツダスピードとの折衝担当でしたね。私が最初のプロトタイプの図面を持って東京のマツダスピードを訪ねていきましたので、あの時のことはよく覚えています。色々と厳しい意見が出ましたね」と記憶を呼び起こしてくれました。今もロータリーエンジンの設計業務に従事し、レンジエクステンダー用シングルローターユニットの開発などを担当している清水さんは、「当時は吸排気の設計を担当していました。また燃焼制御も命題でしたね。R26Bでは、可変吸気の設計を担当しました。吸気管長を調整してトルク特性を変えていくため、2段階調整、無段階調整までを開発しました。当時量産車では一部実現している他銘柄ブランドもありましたが、レーシングエンジンで可変吸気を実現したのはマツダが初です。また、REは排気温度が高いので排気管の信頼性確保にも苦労しました。燃費も厳しかったので、サーキットシミュレーションプログラムを作って、ドライバーサイドでもタイムを落とさず燃費を稼ぐ走りをしてもらいました」と話すと、栗尾さんは「可変吸気は短い時に高回転域でパワーを出し、長い時は低速でのトルクを活かす設定です。最終的には滑らかな無段階可変が実現しましたが、この機能が壊れた時のことも考えました。もしスライド機能が壊れたら、長い方で止まるようになっています。さらに吸気管がスティックしたら困るので、高度な固形潤滑コーティング技術であるデフリックコーティングという表面処理をしています」と当時の解説では明らかにしていなかった技術も紹介してくれました。清水さんに”現代の技術で4ローターエンジンを作ったらどんなものができるでしょう”と問いかけると、「レギュレーション対応や予算を度外視すれば、現代は当時より解析や演算計算が進んでいるので燃費とパワーの関係はより細かく制御できると思います。素材技術も進んでいるので、よりコンパクトで軽く剛性の高いエンジンにできるでしょうね」と答えてくれました。夢が広がりますね。話は色々な方向に寄り道しました。その中でも松浦さんが語った一言が印象に残りました。「私は何度かお話ししていますが、レーシングREの開発を熱心に支援してくれたのが、昨年末亡くなった山本健一RE研究部部長でした。いつも”ロータリーにとってレースでの活躍と量産車開発は両輪だから、頑張れ”と言って励ましてくれていました。山本さんが支援してくれてなかったら、1970年代初頭のオイルショックでマツダはレース活動をやめていたかもしれないし、そうであればルマン優勝もなかったはずです」。
エンジンの組み立てを担当した菊岡さんは、「当時のRE実研には、小方さんという絶対的な存在の専門家がいました。とても厳しく組み立て精度を求めていく人で、私たちも厳しく指導を受けていました。だからどのエンジンも全く同じ性能が出せるのです。シール類の精度はミクロン単位ですから。なので、ドライバー達からも絶対の信頼を集めていました」と話しました。松浦さんは、「小方は本当に丁寧な仕事をする職人気質の男です。2ローターのレーシングエンジン開発のため、ツーリングカーレースで活動していた時に、片山(義美)が”小方が組んだエンジンを積んでくれ”と指名していたことでも明らかです」とサポートします。「そんな小方さんの精神はRE実研、のちのモータースポーツエンジン実研グループにも受け継がれていきました。当時の方法でR26Bエンジンを組み立てろと言われたら、今でもできます。R26Bエンジンは、IMSAでも使いましたから1990年仕様から数えると100台を越す台数を組み上げました。ルマンで優勝したエンジン本体には、88とシリアルナンバーが打刻してあります。88番目に組み立てた個体ですね。色々ありましたが、1991年のルマンで優勝できたのは本当に嬉しいできごとでした。レース後に当時の横浜研究所に報道陣を集めて優勝したマシンからエンジンを下ろし、分解してみせるというイベントがありました。壊れていないかドキドキしたことを記憶しています。重量調整のための分厚いスティール製のオイルパンを外した時、ものすごい重かったです」と菊岡さんは締めてくれました。
この5名の話は尽きず、何時間でも話が続きそうでした。この特集記事の他にも貴重な話がありましたが、それは今年の秋に発売する「R26Bエンジン1/6スケールモデル」に付属するブックレットに掲載する予定です。どうぞお楽しみに。
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