- 2019/09/06
「REレジェンド片山義美のスピリットよ、いつまでも」
2016年3月に元マツダ契約ドライバー片山義美が他界してから、3年5ヶ月が経過した。3回目のお盆が過ぎ、その喪失感から立ち直って父の遺志を引き継ぐ長男勝美さんに、知られざる片山義美の思い出を語ってもらった。勝美さんは、名門カタヤマレーシングの再興に力を注いでいる。
片山義美といえば、1970〜90年代に活躍したレーシングドライバーだが、引退後も引き続きマツダの車両開発や社内テストドライバー育成に尽力していた事はあまり知られていない。現行の開発ドライバーには、片山義美の薫陶(くんとう)を受けた担当者が今でも現役で活躍している。また、現行車両に搭載されているi-DM(インテリジェント・ドライブ・マスター)には片山のドライビングデータが活かされているのはご存じだろうか。勝美さんは、「2011年にDE型デミオに初めて搭載されたi-DMは、父にも印象深かったようです。DE型デミオに乗るたびに”あっクルマに怒られた”と笑いながら、愉しんで運転していましたから(笑)。あのシステムのベストドライビングデータは、父のものなのです」と語っている。
また、勝美さんは、「父はRX-8の量産前最終チェックに関わった事も誇りに思っていました。辛口で有名な英国のテレビ番組で足回りを絶賛されていたのには、私も誇らしくなりました。父はマツダ三次試験場によく出向いていたのですが、ちょうどFD3Sの4型あたりのECUセッティングを行っていた際、たまたまタイタンのテストを他のチームがやっておられて、それを見つけた父は躊躇なく合流しタイタンの同乗走行を始めました。いきなりだったものですから周りの開発の方々も唖然としておられましたが、父はタイタンが運転できて楽しそうでした」と続けた。当時からカタヤマレーシングにヘルパーとして出入りしていた現・誘導車協会の倉本佳英さんは、「当時、私はトレーラーの運転手もしていたのですが、会うたびに社長(片山義美)は(トレーラーを)”運転してみたい”と仰ってました。いちど助手席に乗っていただいたのですが、子供のように感激されていたのが、印象的です」と回顧する。
さらに勝美さんは、「車両開発テストのため頻繁に三次に行っていたのですが、たまに社員の方がお迎えに来る時があります。そんな時は、かならず父が運転して三次に向かっていきました。それは、父なりの気配りだったのだと思います。社員の方に父の横でドライビングを学んでもらうという意味がありました。パッセンジャーがいかに快適に過ごせるようなドライビングが出来るか、を父はいつも考えていましたから。もちろん、レクチャー的なことはひとことも話しませんが、それに気づいた人は得られるものが多かったのではないでしょうか。2011年にレストアを終えた787Bのテスト走行が、同年5月に美祢試験場でありました。父はいつものようにテストをこなしました。実はその時には体調も完調ではなかったのです。しかし同年に東日本大震災が起きたりして大変な時期でもありました。そんな日本を元気づける意義を感じていたようです」と語る。そのテストには、筆者も参加しており、「おぉ、三浦くん、久しぶりやな」と笑顔で声をかけてくれたことをよく覚えている。片山さんが787Bのステアリングを握ると、エキゾーストサウンドの高音の伸びが特徴的で、ビブラートなしでいつまでも澄み渡った高音を奏でるバイオリンのような響きだった。それが相変わらずだったので、ファインダーを覗きながらちょっと嬉しくなった。
その年の12月には、岡山国際サーキットで開催されたマツダファンミーティングでは、ファンの前で是非片山さんに乗って欲しいと、主催者から頼まれ私から片山さんに直談判した。「最初は体調の問題から辞退するつもりだったんですけど、三浦さんに口説かれて(笑)、父はこれも快諾していました。この時にファンのみなさんと嬉しそうに交流していたのが印象的でした」と勝美さん。「父は、いつもプロは走りを見て喜んでもらうのが仕事だと言っていました。ただ、さすがに久しぶりのCカーは体力的にも堪えたようで、長い時間運転できなかったことは、後日まで悔しがっていました」と続けた。倉本さんは、「これは意外かも知れませんが、社長(片山)が酔うといつも言っていたのは、”ワシはロータリーが好きなんやない。マツダという会社が好きなんや”という言葉です。社長は本当にマツダを愛していたんだと思います」と思い出を語った。勝美さんは、「それは父の松田恒次社長(当時)に対するリスペクトなのです。恒次社長が居たからこそ、自分も成長できたと常々言っていました。またファンも大切にしていました。そんな人間だったんです。本当の片山義美は」と続けた。
片山さんのお別れ会では、ホシノレーシングの星野一義さんが、「一緒に六甲を走った片山さんとは、その後日産とマツダというライバル関係になってはいましたが、片山さんにはいつもサーキットで会うと”星野、速くなったやないか”と褒めてくれました。それが僕には、本当に嬉しかったです。僕はまだレースをやっていますが、そちらに行った時にはまた片山レーシングに入れてくれますか」とあいさつし、会場の涙を誘っていた。強い師弟愛を感じるメッセージだった。
お近くに寄られた際には、片山勝美さんが引き継いでいるカタヤマレーシングのショップを是非のぞいてみて欲しい。片山さんのスピリットの一片がそこで見られるかもしれない。また、カタヤマレーシングのグッズ類はMZRacimgストアでも取り扱う予定。
片山義美プロフィール
1940年(昭和15年)5月15日 兵庫県神戸市生まれ。
片山義美は、1960年に2輪ライダーとして国内のレースに初参戦。プライベーターにもかかわらずデビュー戦でいきなり強豪ワークス勢を相手に3位以下をすべて周回遅れにして優勝。1962年より世界グランプリに参戦。日本グランプリ、西ドイツグランプリ、フランスグランプリ、ダッチTT等、数々のレースで優勝。1964年、東洋工業とドライバー契約。マツダチーフドライバーとして国内外の主要レースに参戦。ファミリア・カペラロータリークーペや伝説となるサバンナRX-3などロータリーマシンを操り、同様にマツダ契約ドライバーだった従野孝司や寺田陽次郎らと力を合わせ、国内レースにおけるロータリー車100勝を成し遂げるとともに、国内ツーリングカーレースにおいてロータリーの黄金時代を築きあげた。
1977年からカタヤマレーシングよりマーチ75S・マツダで、1984年にはトラスト・レーシングチームよりポルシェ956で富士耐久レースに参戦しシリーズチャンピオンを獲得。海外のメジャー・レースでは、1990年までに6度マツダスピードよりチーフドライバーとしてル・マン24時間耐久レースに参戦。ほかにデイトナ24時間レースに3回、スパ24時間耐久レース2回、ニュルブルクリンク(マラソンドラルート)84時間レースに2回参戦。1991年に現役レーシングドライバーを引退後も、継続してマツダの車両開発コンサルタントおよび同社テストドライバーのインストラクターとして活躍。2016年3月26日没。享年75
Photos by Katayama Racing Text by MZRacing
片山義美といえば、1970〜90年代に活躍したレーシングドライバーだが、引退後も引き続きマツダの車両開発や社内テストドライバー育成に尽力していた事はあまり知られていない。現行の開発ドライバーには、片山義美の薫陶(くんとう)を受けた担当者が今でも現役で活躍している。また、現行車両に搭載されているi-DM(インテリジェント・ドライブ・マスター)には片山のドライビングデータが活かされているのはご存じだろうか。勝美さんは、「2011年にDE型デミオに初めて搭載されたi-DMは、父にも印象深かったようです。DE型デミオに乗るたびに”あっクルマに怒られた”と笑いながら、愉しんで運転していましたから(笑)。あのシステムのベストドライビングデータは、父のものなのです」と語っている。
また、勝美さんは、「父はRX-8の量産前最終チェックに関わった事も誇りに思っていました。辛口で有名な英国のテレビ番組で足回りを絶賛されていたのには、私も誇らしくなりました。父はマツダ三次試験場によく出向いていたのですが、ちょうどFD3Sの4型あたりのECUセッティングを行っていた際、たまたまタイタンのテストを他のチームがやっておられて、それを見つけた父は躊躇なく合流しタイタンの同乗走行を始めました。いきなりだったものですから周りの開発の方々も唖然としておられましたが、父はタイタンが運転できて楽しそうでした」と続けた。当時からカタヤマレーシングにヘルパーとして出入りしていた現・誘導車協会の倉本佳英さんは、「当時、私はトレーラーの運転手もしていたのですが、会うたびに社長(片山義美)は(トレーラーを)”運転してみたい”と仰ってました。いちど助手席に乗っていただいたのですが、子供のように感激されていたのが、印象的です」と回顧する。
さらに勝美さんは、「車両開発テストのため頻繁に三次に行っていたのですが、たまに社員の方がお迎えに来る時があります。そんな時は、かならず父が運転して三次に向かっていきました。それは、父なりの気配りだったのだと思います。社員の方に父の横でドライビングを学んでもらうという意味がありました。パッセンジャーがいかに快適に過ごせるようなドライビングが出来るか、を父はいつも考えていましたから。もちろん、レクチャー的なことはひとことも話しませんが、それに気づいた人は得られるものが多かったのではないでしょうか。2011年にレストアを終えた787Bのテスト走行が、同年5月に美祢試験場でありました。父はいつものようにテストをこなしました。実はその時には体調も完調ではなかったのです。しかし同年に東日本大震災が起きたりして大変な時期でもありました。そんな日本を元気づける意義を感じていたようです」と語る。そのテストには、筆者も参加しており、「おぉ、三浦くん、久しぶりやな」と笑顔で声をかけてくれたことをよく覚えている。片山さんが787Bのステアリングを握ると、エキゾーストサウンドの高音の伸びが特徴的で、ビブラートなしでいつまでも澄み渡った高音を奏でるバイオリンのような響きだった。それが相変わらずだったので、ファインダーを覗きながらちょっと嬉しくなった。
その年の12月には、岡山国際サーキットで開催されたマツダファンミーティングでは、ファンの前で是非片山さんに乗って欲しいと、主催者から頼まれ私から片山さんに直談判した。「最初は体調の問題から辞退するつもりだったんですけど、三浦さんに口説かれて(笑)、父はこれも快諾していました。この時にファンのみなさんと嬉しそうに交流していたのが印象的でした」と勝美さん。「父は、いつもプロは走りを見て喜んでもらうのが仕事だと言っていました。ただ、さすがに久しぶりのCカーは体力的にも堪えたようで、長い時間運転できなかったことは、後日まで悔しがっていました」と続けた。倉本さんは、「これは意外かも知れませんが、社長(片山)が酔うといつも言っていたのは、”ワシはロータリーが好きなんやない。マツダという会社が好きなんや”という言葉です。社長は本当にマツダを愛していたんだと思います」と思い出を語った。勝美さんは、「それは父の松田恒次社長(当時)に対するリスペクトなのです。恒次社長が居たからこそ、自分も成長できたと常々言っていました。またファンも大切にしていました。そんな人間だったんです。本当の片山義美は」と続けた。
片山さんのお別れ会では、ホシノレーシングの星野一義さんが、「一緒に六甲を走った片山さんとは、その後日産とマツダというライバル関係になってはいましたが、片山さんにはいつもサーキットで会うと”星野、速くなったやないか”と褒めてくれました。それが僕には、本当に嬉しかったです。僕はまだレースをやっていますが、そちらに行った時にはまた片山レーシングに入れてくれますか」とあいさつし、会場の涙を誘っていた。強い師弟愛を感じるメッセージだった。
お近くに寄られた際には、片山勝美さんが引き継いでいるカタヤマレーシングのショップを是非のぞいてみて欲しい。片山さんのスピリットの一片がそこで見られるかもしれない。また、カタヤマレーシングのグッズ類はMZRacimgストアでも取り扱う予定。
片山義美プロフィール
1940年(昭和15年)5月15日 兵庫県神戸市生まれ。
片山義美は、1960年に2輪ライダーとして国内のレースに初参戦。プライベーターにもかかわらずデビュー戦でいきなり強豪ワークス勢を相手に3位以下をすべて周回遅れにして優勝。1962年より世界グランプリに参戦。日本グランプリ、西ドイツグランプリ、フランスグランプリ、ダッチTT等、数々のレースで優勝。1964年、東洋工業とドライバー契約。マツダチーフドライバーとして国内外の主要レースに参戦。ファミリア・カペラロータリークーペや伝説となるサバンナRX-3などロータリーマシンを操り、同様にマツダ契約ドライバーだった従野孝司や寺田陽次郎らと力を合わせ、国内レースにおけるロータリー車100勝を成し遂げるとともに、国内ツーリングカーレースにおいてロータリーの黄金時代を築きあげた。
1977年からカタヤマレーシングよりマーチ75S・マツダで、1984年にはトラスト・レーシングチームよりポルシェ956で富士耐久レースに参戦しシリーズチャンピオンを獲得。海外のメジャー・レースでは、1990年までに6度マツダスピードよりチーフドライバーとしてル・マン24時間耐久レースに参戦。ほかにデイトナ24時間レースに3回、スパ24時間耐久レース2回、ニュルブルクリンク(マラソンドラルート)84時間レースに2回参戦。1991年に現役レーシングドライバーを引退後も、継続してマツダの車両開発コンサルタントおよび同社テストドライバーのインストラクターとして活躍。2016年3月26日没。享年75
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