- 2022/08/25
「ル・マンを駆けた737C・787B」ヌマジ交通ミュージアム特別展示を見る
文と写真 : モータースポーツライター 原田了(はらだ りょう)
広島市安佐南区にあるヌマジ交通ミュージアム(公益財団法人広島市文化財団 広島市交通科学館)では7月15日から、令和4年度夏季企画展「ル・マンを駆けた737C・787B」とスポット展示として「高橋徹 ~瞬く間にF2に駆け上がった広島出身のドライバー~」を開催した。
ロータリーの聖地・広島、ヌマジ交通ミュージアムならではの充実した資料を展示
今回の企画展を主宰したヌマジ交通ミュージアムは、地元マツダとの交流もあり、1970年の東京モーターショーに出品されたロータリー・エンジン搭載のコンセプトカー、「マツダRX-500」を収蔵。さらに近年になって68年のニュルブルクリンク84時間=マラソン・ド・ラ・ルートに参戦したコスモスポーツのレプリカがコレクションに加わるなど、ファンには見逃せないロータリー・エンジンの聖地となっている。そんなヌマジ交通ミュージアムではこれまでも定期的に、独自の企画展を開催してきた。今回は令和4年度の夏季企画展として「ル・マンを駆けた737C・787B」を企画。近年レストアが完成したマツダ737Cと91年のル・マン24時間で優勝を飾った787Bを保存するために、国内レース用として製造された通称“787B・202号車” 、2台のレーシングスポーツを展示することになった。
今回展示されたレーシングスポーツの1台、マツダ737Cは85年のル・マン24時間に#85号車としてグループC2クラスに出走した車両で、シャシーナンバー737C-001。ル・マン24時間では片山義美/寺田陽次郎/従野孝司のトリオがドライブし、総合24位/クラス6位入賞を果たしたクルマそのもの。ル・マン24時間を戦い終えたのちは、マツダスピードから静岡マツダに所属が変わり、国内で行われていた全日本耐久選手権に参戦していた。現在は、コジマやマキの国産F1をレストアしたことでもお馴染みとなったクロマの伊藤英彦さんの許にあり、同氏によってレストアが計画され、レストア作業は御殿場市にあるトランジット・エンジニアリング・ジャパン(渡邉博人代表)で行われている。一連の作業の中ではカウルワークの生みの親でもあるムーンクラフトの由良拓也社長も検証に立ち会うなど精緻な作業の末に見事甦っている。そして昨年4月に行われたオートモビルカウンシル2021で一般にお披露目されていたから、目にしたことのある人もいるかもしれない。
もう1台の787Bはシャシーナンバー787B-003で、ル・マンに出走したクルマとは別の個体で、国内レース専用に製作されたために、レギュレーションで必要とされていないヘッドライトレスのフロントカウルを装着。カラーリングもル・マン24時間の優勝車と同じレナウン・チャージ・カラーで、オレンジとグリーンの配色が逆になったカラーリングも特徴。同企画展を開催するために奮闘されたヌマジ交通ミュージアムの学芸員、田村規充さんは「本当は787Bもル・マンで優勝した#55号車を展示したかったのですが、ル・マン・クラシックに参加するためにスケジュール的に無理となったのが残念です」と話していた。また「地元ということもあってマツダの社員の方やOBの方も多くいらっしゃっています」とも。
展示された2台の車両もファンにとってはありがたいが、それ以上に、展示資料が充実していたのは特筆もの。ル・マン24時間レースの成り立ちやマツダのル・マン挑戦ヒストリー、さらに737Cのレストアの詳細などについて数多くの写真とパネルで説明し、多くの人が立ち止まって熱心に見入っていたのが印象的であった。
この企画展に合わせて行われているスポット展示では、広島県東広島市出身のドライバー、故・高橋徹選手を特集。18歳で西日本サーキット(山口県美祢市にあったサーキット。現在はマツダの美祢自動車試験場に)でレースデビュー。翌年は鈴鹿でひとり暮らしをしながら新人のためのレースシリーズである鈴鹿シルバーカップのFL550クラスに参戦し、9戦中3戦で優勝してチャンピオンに輝くと、翌年は鈴鹿フルコースで争われるFL550チャンピオンレース・シリーズに参戦。ベテランの猛者がひしめき合う中、6戦中2戦で優勝し、シリーズ3位に。翌82年はF3にステップアップ、9戦中2戦で優勝しシリーズ2位。そして83年には国内トップチームのひとつ、ヒーローズレーシングから国内最高峰のレースシリーズ、現在のスーパーフォーミュラ(SF)に相当する全日本F2選手権と富士グランチャンピオン(GC)への挑戦が決定。当初はエースを務める星野一義選手のナンバー2として多くを学び取る計画だったのが、星野選手がヒーローズから離れて自らのチームを立ち上げたことから、高橋選手は急遽エースに昇格してシーズンを迎えることになった。
こうして迎えたデビュー戦で高橋選手は中嶋悟、松本恵仁、星野のベテラン勢に続いて予選4番手を奪い、レース中盤に3位に進出するとファイナルラップでトラブルに見舞われた星野をかわしてそのままチェッカー。中嶋に次ぐ2位表彰台をゲットした。そして同じ鈴鹿サーキットで行われたシリーズ第5戦では見事ポールポジションを手に入れている。近年ではホンダやトヨタの育成ドライバーがF3やスーパーフォーミュラライツ(SFL)からSFにステップアップし、早い段階で速さを見せるようになるケースも少なくないが、デビュー戦で2位表彰台、5戦目でポールポジションというのはあまり例がない。特に高橋選手がF2デビューを果たした当時は、星野と中嶋、2人の最速最強ドライバーが君臨し、ベテランの猛者も勢揃いしていて、ルーキーがその中に分け入って戦うこと自体が困難な状況だった。だからデビューから5年目、22歳にしてF2デビューを果たした高橋選手の戦績は、驚くべきものだった。
同年齢で、同時期にF3を戦っていた鈴木亜久里さんは「トオルは絶対にF1に行くと思っていた」とコメントしていましたが、F1よりももっと具体的な目標としてマツダでは高橋選手を起用してル・マン24時間に参戦するプランが持ち上がっていたとも伝えられている。実際に当時、先輩ジャーナリストから「マツダのル・マン計画のドライバー候補に高橋徹の名が挙がっている」と聞いたことがあった。デビュー戦から取材してきたことから、高橋選手とは個人的な交際もあったから、わがことのように嬉しかったと記憶している。しかし、彼の夢も、多くのファンの想いも、残念ながら叶うことはなかった。F2最終戦の鈴鹿グランプリを前に行われた富士GC最終戦で、高橋選手はアクシデントに遭遇し、23歳になったばかりの若さで逝ってしまったのだ。
今回のスポット展示では、そんな彼がデビューシーズンにドライブしたマーチ832・BMWや、彼が普段の足に使っていたマツダ・ファミリアハッチバックなどが展示されている。また多くの写真や深く掘り下げられた資料もパネルで展示されていて、瞬く間にF2に駆け上がっていった高橋徹選手を理解するにはベストな展示となっている。高橋徹選手を知っている人もそうでない人も、モータースポーツファンの人もそうでない人も、この若者を知ってほしい、と改めて思った次第。企画展とスポット展示は9月4日まで開催予定とのこと。
原田了:1955年、岡山県倉敷市出身。モータースポーツ専門誌の編集部員として勤務したのち、フリーランスのモータージャーナリストとして国内外のレースを取材。JMS(日本モータースポーツ記者会)会員。著書は「クルマの最新メカニズムがわかる本」。
Text and Photos by Ryo Harada
広島市安佐南区にあるヌマジ交通ミュージアム(公益財団法人広島市文化財団 広島市交通科学館)では7月15日から、令和4年度夏季企画展「ル・マンを駆けた737C・787B」とスポット展示として「高橋徹 ~瞬く間にF2に駆け上がった広島出身のドライバー~」を開催した。
今回の企画展を主宰したヌマジ交通ミュージアムは、地元マツダとの交流もあり、1970年の東京モーターショーに出品されたロータリー・エンジン搭載のコンセプトカー、「マツダRX-500」を収蔵。さらに近年になって68年のニュルブルクリンク84時間=マラソン・ド・ラ・ルートに参戦したコスモスポーツのレプリカがコレクションに加わるなど、ファンには見逃せないロータリー・エンジンの聖地となっている。そんなヌマジ交通ミュージアムではこれまでも定期的に、独自の企画展を開催してきた。今回は令和4年度の夏季企画展として「ル・マンを駆けた737C・787B」を企画。近年レストアが完成したマツダ737Cと91年のル・マン24時間で優勝を飾った787Bを保存するために、国内レース用として製造された通称“787B・202号車” 、2台のレーシングスポーツを展示することになった。
今回展示されたレーシングスポーツの1台、マツダ737Cは85年のル・マン24時間に#85号車としてグループC2クラスに出走した車両で、シャシーナンバー737C-001。ル・マン24時間では片山義美/寺田陽次郎/従野孝司のトリオがドライブし、総合24位/クラス6位入賞を果たしたクルマそのもの。ル・マン24時間を戦い終えたのちは、マツダスピードから静岡マツダに所属が変わり、国内で行われていた全日本耐久選手権に参戦していた。現在は、コジマやマキの国産F1をレストアしたことでもお馴染みとなったクロマの伊藤英彦さんの許にあり、同氏によってレストアが計画され、レストア作業は御殿場市にあるトランジット・エンジニアリング・ジャパン(渡邉博人代表)で行われている。一連の作業の中ではカウルワークの生みの親でもあるムーンクラフトの由良拓也社長も検証に立ち会うなど精緻な作業の末に見事甦っている。そして昨年4月に行われたオートモビルカウンシル2021で一般にお披露目されていたから、目にしたことのある人もいるかもしれない。
もう1台の787Bはシャシーナンバー787B-003で、ル・マンに出走したクルマとは別の個体で、国内レース専用に製作されたために、レギュレーションで必要とされていないヘッドライトレスのフロントカウルを装着。カラーリングもル・マン24時間の優勝車と同じレナウン・チャージ・カラーで、オレンジとグリーンの配色が逆になったカラーリングも特徴。同企画展を開催するために奮闘されたヌマジ交通ミュージアムの学芸員、田村規充さんは「本当は787Bもル・マンで優勝した#55号車を展示したかったのですが、ル・マン・クラシックに参加するためにスケジュール的に無理となったのが残念です」と話していた。また「地元ということもあってマツダの社員の方やOBの方も多くいらっしゃっています」とも。
展示された2台の車両もファンにとってはありがたいが、それ以上に、展示資料が充実していたのは特筆もの。ル・マン24時間レースの成り立ちやマツダのル・マン挑戦ヒストリー、さらに737Cのレストアの詳細などについて数多くの写真とパネルで説明し、多くの人が立ち止まって熱心に見入っていたのが印象的であった。
この企画展に合わせて行われているスポット展示では、広島県東広島市出身のドライバー、故・高橋徹選手を特集。18歳で西日本サーキット(山口県美祢市にあったサーキット。現在はマツダの美祢自動車試験場に)でレースデビュー。翌年は鈴鹿でひとり暮らしをしながら新人のためのレースシリーズである鈴鹿シルバーカップのFL550クラスに参戦し、9戦中3戦で優勝してチャンピオンに輝くと、翌年は鈴鹿フルコースで争われるFL550チャンピオンレース・シリーズに参戦。ベテランの猛者がひしめき合う中、6戦中2戦で優勝し、シリーズ3位に。翌82年はF3にステップアップ、9戦中2戦で優勝しシリーズ2位。そして83年には国内トップチームのひとつ、ヒーローズレーシングから国内最高峰のレースシリーズ、現在のスーパーフォーミュラ(SF)に相当する全日本F2選手権と富士グランチャンピオン(GC)への挑戦が決定。当初はエースを務める星野一義選手のナンバー2として多くを学び取る計画だったのが、星野選手がヒーローズから離れて自らのチームを立ち上げたことから、高橋選手は急遽エースに昇格してシーズンを迎えることになった。
こうして迎えたデビュー戦で高橋選手は中嶋悟、松本恵仁、星野のベテラン勢に続いて予選4番手を奪い、レース中盤に3位に進出するとファイナルラップでトラブルに見舞われた星野をかわしてそのままチェッカー。中嶋に次ぐ2位表彰台をゲットした。そして同じ鈴鹿サーキットで行われたシリーズ第5戦では見事ポールポジションを手に入れている。近年ではホンダやトヨタの育成ドライバーがF3やスーパーフォーミュラライツ(SFL)からSFにステップアップし、早い段階で速さを見せるようになるケースも少なくないが、デビュー戦で2位表彰台、5戦目でポールポジションというのはあまり例がない。特に高橋選手がF2デビューを果たした当時は、星野と中嶋、2人の最速最強ドライバーが君臨し、ベテランの猛者も勢揃いしていて、ルーキーがその中に分け入って戦うこと自体が困難な状況だった。だからデビューから5年目、22歳にしてF2デビューを果たした高橋選手の戦績は、驚くべきものだった。
同年齢で、同時期にF3を戦っていた鈴木亜久里さんは「トオルは絶対にF1に行くと思っていた」とコメントしていましたが、F1よりももっと具体的な目標としてマツダでは高橋選手を起用してル・マン24時間に参戦するプランが持ち上がっていたとも伝えられている。実際に当時、先輩ジャーナリストから「マツダのル・マン計画のドライバー候補に高橋徹の名が挙がっている」と聞いたことがあった。デビュー戦から取材してきたことから、高橋選手とは個人的な交際もあったから、わがことのように嬉しかったと記憶している。しかし、彼の夢も、多くのファンの想いも、残念ながら叶うことはなかった。F2最終戦の鈴鹿グランプリを前に行われた富士GC最終戦で、高橋選手はアクシデントに遭遇し、23歳になったばかりの若さで逝ってしまったのだ。
今回のスポット展示では、そんな彼がデビューシーズンにドライブしたマーチ832・BMWや、彼が普段の足に使っていたマツダ・ファミリアハッチバックなどが展示されている。また多くの写真や深く掘り下げられた資料もパネルで展示されていて、瞬く間にF2に駆け上がっていった高橋徹選手を理解するにはベストな展示となっている。高橋徹選手を知っている人もそうでない人も、モータースポーツファンの人もそうでない人も、この若者を知ってほしい、と改めて思った次第。企画展とスポット展示は9月4日まで開催予定とのこと。
原田了:1955年、岡山県倉敷市出身。モータースポーツ専門誌の編集部員として勤務したのち、フリーランスのモータージャーナリストとして国内外のレースを取材。JMS(日本モータースポーツ記者会)会員。著書は「クルマの最新メカニズムがわかる本」。
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